呉2日目。この日は朝から艦これに関係のある場所に訪れました。
長迫公園(旧海軍墓地)にて
この日は8月15日終戦記念日でした。呉に訪れた際は、訪れたいと思っていた場所です。
こちらには数多くの艦艇の慰霊碑がありました。
第十七駆逐隊
陽炎型の駆逐艦で編成された駆逐隊です。最後は雪風だけが終戦まで生き残り、旧海軍最高の幸運艦と知られるようになります。
姉妹艦ができることがなかった島風。高速戦艦金剛型の比叡、神戸生まれの熊野。
帝国海軍史上最強、最大の戦艦大和。
戦艦大和が沈めば日本が終わると言われていた程、日本旧海軍、日本国民の誇りであった大和。最後の坊ノ岬海戦では船員たちは何を思 い、何を感じ、沖縄を向かったのか。暗く冷たく光が届かない海底に沈んで海底から日本の海を守っているのでしょうか。
大和ミュージアムへ
長迫公園を後にし、次に大和ミュージアムに向かいました。
10分1サイズの大和が迎えてくれました!でかい!
海軍墓地礼拝後に大和ミュージアムに訪れ、臼淵磐大尉の言葉が込み上げてくるものがありました。
「進歩のない者は決して勝てない。 負けて目覚めることが最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。それ以外にどうして日本は救われるか。
今日目覚めずしていつ救われるか。
俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。
まさに本望じゃないか。」
wikiでは「小説の原作者の創作である可能性が高い」とのことですが、現代人の胸を打つ文になっています。
戦艦大和の戦死者は3000名強と言われており、船員の90%以上の方が亡くなりました。特攻という言葉だけで見れば、無意味だったのかと思いますが、上記の一文、大和の船員の方の情熱や思いは戦後の日本に大きな影響を与えたのではないのでしょうか。
改めて、約70年前に戦争をしていたということを認識し、遠い過去の出来事にしない。今のような生活ができていることを感謝し、8月15日正午、に大和ミュージアム内にてアナウンスがあり、館内の皆さまが黙祷を捧げました。